2020/12/01のBlog
[ 22:13 ]
[ 遍路修行日記 ]
おばあちゃんは生前、
ご近所さんとバスで四国遍路を2周しました。
私の両親兄妹(現在生きている親族全員)は、
四国遍路に興味関心がなく、
私は大橋家から意味不明&理解不能な
【宇宙人】扱いされております(笑)。
だけど、おばあちゃんが徳が高く
信仰深い人だったおかげで、
「おばあちゃんの隔世遺伝や」と言われ、
かろうじて地球人扱いです(更に、笑)。
この秋、大阪楽心会の歩き遍路で、
久しぶりにこの焼山寺に来ました。
やはり、とてもちゃんとされていて
清々しくてステキな場所です。
普段、自分が写る写真は撮らない主義なのですが、
(まだまだ“孫/馬子にも衣装”状態ですが^^;)
この地で四国八十八ヶ所霊場会「公認中先達」
としての記念撮影をさせて頂きました。
[ 21:33 ]
[ 遍路修行日記 ]
11月21日(土)~23日(月・祝)。
公認先達としてお世話役をつとめております、
大阪楽心会の仲間と共に歩き遍路をしに
四国・徳島へ行って参りました。
今回は“密”を避けるべく、
大阪~四国間(行き帰り)は参加者の自家用車、
もしくは高速バスで現地集合&解散
という形式にさせていただくなどさせていただきました。
今回は四国88で最も過酷な「遍路ころがし」である
“焼山寺越え”含む、
10番切幡寺山門~12番焼山寺から9キロ程先にある
「鏡大師」界隈まで歩きました。
参加者の中村さとみさんが約17分の動画を
作成してくださいましたので、シェアさせて頂きます。
歩き遍路の臨場感がめっちゃ伝わってきますね~^^♪
↓
https://www.youtube.com/watch?v=63ZrnVEspyY&feature=youtu.be
公認先達としてお世話役をつとめております、
大阪楽心会の仲間と共に歩き遍路をしに
四国・徳島へ行って参りました。
今回は“密”を避けるべく、
大阪~四国間(行き帰り)は参加者の自家用車、
もしくは高速バスで現地集合&解散
という形式にさせていただくなどさせていただきました。
今回は四国88で最も過酷な「遍路ころがし」である
“焼山寺越え”含む、
10番切幡寺山門~12番焼山寺から9キロ程先にある
「鏡大師」界隈まで歩きました。
参加者の中村さとみさんが約17分の動画を
作成してくださいましたので、シェアさせて頂きます。
歩き遍路の臨場感がめっちゃ伝わってきますね~^^♪
↓
https://www.youtube.com/watch?v=63ZrnVEspyY&feature=youtu.be
2020/11/28のBlog
[ 00:14 ]
[ よしこちゃんのつぶやき ]
本当に恐ろしいものとは、
(新型コロナ)ウイルスなのでしょうか?
私はそう観じておりません。
本当に恐ろしい存在は【人間】なのです。
ウイルスも人間同様、
地球上に存在する万物の一つであり、
それを排除するだの殺めるだの、
そんな二元対立的な発想をいつまでもしているからこそ、
収まるどころかエスカレートしていくのです。
ウイルスが蔓延するその真の理由は、
人間の自我我欲のエネルギーがそうさせているのです。
ウイルスの存在自体が悪い訳ではありません。
自我我欲などの悪想念、感情に心が囚われている限りは
その真の原因にたどり着くこともなく、
虚実に踊らされ、無意味に嘆き悲しみ怒り苦しんで、
そうこうしているうちに命が尽き、死んで逝くのです。
一体何のためにこの顕界にやって来られたのでしょうか。。。?
霊長類として「霊に長けた存在」として、カミと共に、
この地球を、地球に命ある万物全ての幸福のために
存在するはずの人間が、
自我我欲を増幅させ自分(たち)だけのために生き、
他者を万物全ての命を傷つけたり
搾取したり殺めたりしております。
そのオオイナルツミノセイサンの一つの現象が
今回の世界的なコロナ渦であり、
その精算は今後更にエスカレートして参ります。
自我我欲を持ったまま地球と共に人間が絶滅するか、
人間が改心懺悔して真の原因を掴み、
一元調和の世界構築を実践し、地球が地上と楽土と成るか?
いよいよ地球人全員が問われる時期になりました。
【写真】大阪・関空→石垣島の飛行機からの景色
~地球(顕界/この世)と宇宙(幽界/あの世)の境は無いと気づいた瞬間~
(新型コロナ)ウイルスなのでしょうか?
私はそう観じておりません。
本当に恐ろしい存在は【人間】なのです。
ウイルスも人間同様、
地球上に存在する万物の一つであり、
それを排除するだの殺めるだの、
そんな二元対立的な発想をいつまでもしているからこそ、
収まるどころかエスカレートしていくのです。
ウイルスが蔓延するその真の理由は、
人間の自我我欲のエネルギーがそうさせているのです。
ウイルスの存在自体が悪い訳ではありません。
自我我欲などの悪想念、感情に心が囚われている限りは
その真の原因にたどり着くこともなく、
虚実に踊らされ、無意味に嘆き悲しみ怒り苦しんで、
そうこうしているうちに命が尽き、死んで逝くのです。
一体何のためにこの顕界にやって来られたのでしょうか。。。?
霊長類として「霊に長けた存在」として、カミと共に、
この地球を、地球に命ある万物全ての幸福のために
存在するはずの人間が、
自我我欲を増幅させ自分(たち)だけのために生き、
他者を万物全ての命を傷つけたり
搾取したり殺めたりしております。
そのオオイナルツミノセイサンの一つの現象が
今回の世界的なコロナ渦であり、
その精算は今後更にエスカレートして参ります。
自我我欲を持ったまま地球と共に人間が絶滅するか、
人間が改心懺悔して真の原因を掴み、
一元調和の世界構築を実践し、地球が地上と楽土と成るか?
いよいよ地球人全員が問われる時期になりました。
【写真】大阪・関空→石垣島の飛行機からの景色
~地球(顕界/この世)と宇宙(幽界/あの世)の境は無いと気づいた瞬間~
2020/11/27のBlog
[ 23:47 ]
[ よしこちゃんのつぶやき ]
ご参考までにどうぞ
この冬も、そしてこれからも
あらゆる制約を超尅し
たった一つである【真実】を観
それに基づいた言動を展開して参ります
(=人=)☆
【ネット記事】
医師が明かす「コロナを恐れる必要がない理由」
死亡者は前年比減少、治療法も大きく進歩
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ca052cf5675e4ee3c157c25446a5e78387cdf09?fbclid=IwAR07c1XN5R4loiTLhS6RDhFBcMpRLoepoBaPa5GKOM4Ppf549YCg2B4Mfdk
この冬も、そしてこれからも
あらゆる制約を超尅し
たった一つである【真実】を観
それに基づいた言動を展開して参ります
(=人=)☆
【ネット記事】
医師が明かす「コロナを恐れる必要がない理由」
死亡者は前年比減少、治療法も大きく進歩
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ca052cf5675e4ee3c157c25446a5e78387cdf09?fbclid=IwAR07c1XN5R4loiTLhS6RDhFBcMpRLoepoBaPa5GKOM4Ppf549YCg2B4Mfdk
2020/11/04のBlog
[ 23:14 ]
[ ぶらり旅日記 ]
10月23日(金)~26日(月)3泊4日で、
青森県へ行って来ました。
おかげさまで今回もGO TO キャンペーン等で
格安で行くことが出来且つ、
めちゃくちゃ内容の濃いものでした(=人=)☆
今回もざっとですが、青森の多種多様な歴史的風土、
その素晴らしさをご紹介させていただきます!
青森県へ行って来ました。
おかげさまで今回もGO TO キャンペーン等で
格安で行くことが出来且つ、
めちゃくちゃ内容の濃いものでした(=人=)☆
今回もざっとですが、青森の多種多様な歴史的風土、
その素晴らしさをご紹介させていただきます!
で、なぜ今回の題名が【北のまほろば】か?
それは、司馬遼太郎先生の『街道をゆく41』からです↓
https://publications.asahi.com/kaidou/41/index.shtml
青森県内の至る所でこの言葉を観ました。
※「まほろば」とは、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」
という意味の日本の古語です。
南方からやって来た稲作文化が中世、
この青森の地を覆うようになってから「けかち」という
飢餓の多い場所となってしまいましたが、
元々(縄文時代/狩猟や採集をしていた時代)は、
地球上で最も豊かな場所(まほろば)で、
三内丸山遺跡のように、戦争やいざこざの跡が
見当たらないムラ(人間の営みの場)が
多数あったと分かって来ています。
『街道をゆく』シリーズは司馬先生の突然の死去によって、
43の途中で終わってしまいましたが、
その少し前に司馬先生の手によって、
青森は実は「けかち」ではなく
「まほろば」であったと証明されたのは、
青森県人にとっても我々日本人全員にとっても、
素晴らしいことであったと観じています。
さて、前置きが長くなりましたが、
23日青森空港に着いてレンタカーを借り、
まずは青森県東部にある三沢市に行きました。
三沢は日本の航空自衛隊・米軍基地(空軍)・
民間旅客機(三沢空港)が飛ぶ、【三位一体型】の
大きな空港区域があり、
恐らく日本ではここだけだと思われます。
沖縄の次に大きい米軍の空軍基地があるだけあり、
街全体がなんだかアメリカンな雰囲気で、
米軍の方がちょくちょく歩いておられました。
(ロシアとのからみがあってか)北海道には
米軍の駐屯地が無い関係で、この三沢が
日本北部における防衛の重要拠点のようです。
1年程前に私が入っている
一般社団法人政経倶楽部連合会 大阪支部
(https://www.seikei-club.jp/)という会で、
三沢の航空自衛隊基地を見学するアポを
取りつけていたのですが、残念ながら
コロナで流れてしまいましたので、
代わりに県立三沢航空科学館(https://www.kokukagaku.jp/)へ
みんなと行きました~^^♪
[ 23:08 ]
[ ぶらり旅日記 ]
一緒に行った、政経倶楽部の仲間・ハシモトさんが、
シュメール文化の研究を個人的にされておられ・・・
「青森にキリストの墓があるから、
是非そこに行って欲しい!!!」と
意味不明???なことを言われ、
ネットで調べてみると、ホンマにありました!?
【キリストの墓】!
シュメール文化の研究を個人的にされておられ・・・
「青森にキリストの墓があるから、
是非そこに行って欲しい!!!」と
意味不明???なことを言われ、
ネットで調べてみると、ホンマにありました!?
【キリストの墓】!
三沢から23日夜宿泊した十和田湖にある
温泉旅館の間にある新郷村にありました。
【新郷村/キリストの里伝承館】
http://www.vill.shingo.aomori.jp/sight/sight_main/kankou/sight-christ/?fbclid=IwAR2S4M4aAAZfORN952l4T1-eLf5VIMxakRY1y64oZ_8ZvLUEXLGJkEXdJwA
「ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが
実は密かに日本に渡っていた」
十字架にハリツケにされたのはキリストじゃなく、
弟のイスキリだった!?って、
イスキリっていう名前もなんだか、
“椅子(の足)を切る”って感じで?意味不明ですよネ~(^^;)。
そのミステリーの真相はいかに!??
[ 23:06 ]
[ ぶらり旅日記 ]
食べきれない豪華な夕食と共に、
せっかくいっぱい頂いた「地域共通クーポン」が
全てブッ飛ぶ程にお酒をガバガバ呑んではりましたぁ~(笑)!
(ホテルで頂いた「地域共通クーポン」は、
ホテルの夕食のお酒代でも使えました)
[ 23:02 ]
[ ぶらり旅日記 ]
私たちは十和田湖方面から行ったので
かなりマシでしたが、反対の青森市内から
車でやって来た人たちが団体バス含めて圧倒的に多く、
その反対車線は途中から大渋滞で、
路駐している自動車に向かってパトカーが
ワーワー言ってて、なんだか騒がしい観光地でした(^^;)。
かなりマシでしたが、反対の青森市内から
車でやって来た人たちが団体バス含めて圧倒的に多く、
その反対車線は途中から大渋滞で、
路駐している自動車に向かってパトカーが
ワーワー言ってて、なんだか騒がしい観光地でした(^^;)。
[ 22:56 ]
[ ぶらり旅日記 ]
少人数の家族や親族の範囲で、
ちびちびとムラを形成し、かろうじて生きていた・・・
のではなくて、この地に1500年程、
こんなに広大なムラ(っていうか一大都市!?)を形成していた!
ということが分かり、そのスケールもそうですが、
高度な文明の凄さに圧倒されました。
しかもこの遺跡では、ムラを覆う堀や塀、
武器そのものや槍で頭蓋骨を突かれた
人骨が一切見つかっていない。。。
更に豊富な食物の痕跡や耕作、栽培、
海・川・陸での狩猟の跡などなど。。。
いかに縄文時代が殺し合いの無い豊かで
幸福な時代であったか?
恐らくこの時代、この地・この日本の縄文時代が
地球上で最も豊かで幸福な楽園
【ユートピア】であったことが分かります。
ってことで、いよいよ来年あたりに、
三内丸山遺跡も含めた
「北海道・北東北の縄文遺跡群」が
世界遺産に認定されるそうですョ(祝)!
縄文文化を持つ縄文人は我々日本人の
直系の先祖であります。
現代の日本地図の箇所のあっちこっちに
遺跡(生活の痕跡)を遺しています。
が、西日本よりも東日本の方が
その痕跡は多い(大きい)ようです。
それだけ昔の日本は東日本の方が
「まほろば」やったんでしょうね。
真の幸福の探求と実現は、
既にもうこの縄文時代に完成していた訳です。
だけど、南方(大陸)から、稲作文化が入って来ると同時に
稲(食物)を貯蓄するという概念も入って来て、
「貯蓄する→個人や組織で所有・独占する」
という動きとなり、「食物を貯蓄しておかないと
自分(たち)は飢える・死んでしまう」
という概念(自我)が芽生えて強化され、
やがてそれが「自分たち以外は餓えて死んでもいい」
「隣のムラの食物(富・財産)を盗んででも・皆殺しにしても
自分たちは生き残る・豊かになりたい」という
我欲を発達させて来て、今に至っているようです。
従いまして自我の根本的要素は【恐怖】であり、
自我から発心された我欲の根本は
【貪り】【偏り】【無知】と言ったものであると観ております。
私の今生の人生に於ける重大なコンセプトとして
【縄文に還る】というものがあります。
この令和の時代に縄文の時代へ還る。
還らないと、地球誕生から何回目かの人類絶滅が
待っているからです。
それを人間という立場役割となり、
何とか回避しなくてはならないと認識しております。
今世界に蔓延るコロナショック、次にもう準備されている
世界経済の崩壊は、その人類絶滅
(地球人類の粛清・罪の精算)のプロセス
【天からの最終警告】です。
青森空港から10キロ弱のところにありますこの三内丸山遺跡。
日本人のルーツ(DNA)並びに、
今を生きる我々大和民族がこの地球で成すべき
使命役割を肌で感じたい方、
是非とも行かれてください。
縄文人の豊かさ・目指していた境地が時空を越えて、
私たちの持つ【大和魂/ヤマトノオモヒ】をワクワクさせます~(^0^)!
●三内丸山遺跡 公式ホームページ
https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
[ 22:51 ]
[ ぶらり旅日記 ]
24日(土)夕方。一旦青森空港に戻り、
政経倶楽部大阪支部のオジサマ方とお別れ。
大阪に帰って行かれました。
私と友達のゆうきちゃんの二人が残り、
空港のレンタカー屋さんで、今度はコンパクトカーを借りて、
一気に下北半島(むつ市)まで行きました!
翌朝25日朝は、むつ市にある、
斗南藩の旧跡地を探訪しました。
政経倶楽部大阪支部のオジサマ方とお別れ。
大阪に帰って行かれました。
私と友達のゆうきちゃんの二人が残り、
空港のレンタカー屋さんで、今度はコンパクトカーを借りて、
一気に下北半島(むつ市)まで行きました!
翌朝25日朝は、むつ市にある、
斗南藩の旧跡地を探訪しました。
「斗南(となみ)藩」とは・・・
会津藩主で京都守護職だった松平容保(かたもり)が、
戊辰戦争で新政府軍に徹底抗戦した為、
明治元年(1868)に会津領を没収され蟄居させられ、
嫡子の容大(かたはる)が陸奥の北端・・・
今の下北半島のむつ市あたりの僻地(3万石)を与えられ、
斗南藩を立藩しました。
本州最北端の稲作が困難な僻地に
会津若松の武士たちが流浪の民の如く移住し、
過酷な環境下で開墾されるなど、
涙無しでは語れないご苦労をされた。。。
という深い悲しみの歴史があります。
素直で実直、誠実だったからこそ、
ずる賢く逃げることなく、「歴史のハズレくじ」をひいてしまい、
朝敵という汚名を明治政府によってつけられ、
酷いめに遭わされてしまいました。
私は個人的に、そんな旧会津藩(会津魂)がカナリ好きなので、
いつか斗南に行きたいと思っていました。
会津藩士・斗南藩士に鎮魂の祈りを捧げるべく、
まずは斗南藩の藩庁が置かれた円通寺と
幼い松平容大の遊び場だった徳玄寺へ。
円通寺には戊辰戦争の三十三回忌に建立した
奮戦むなしく亡くなった会津藩士を弔う招魂之碑がありました。
明治になってからもう150年経っておりますが、
今でも会津武士の子孫が弔っておられるのでしょうね(=人=)☆
斗南藩史跡地や旧斗南藩士らのお墓にも行きました。
大河の歴史の中にある光と影。敗者という影に存在する、
その人々の生きざまに光を当てることによって観えてくる、
真実(想い)というものを私はこうして
一つずつ丁寧に集めてはヒカリにして天に還し、
と同時に自分の心に徳や智慧、
感動と感謝というカタチで貯蓄し続けております(=人=)☆
●下北ナビ「斗南藩 史跡」
https://simokita.org/sight/tonami/
[ 22:46 ]
[ ぶらり旅日記 ]
今の青森県は、津軽藩(県西側)・南部藩(県東側)・
斗南藩(県北東部・下北半島)と3つの藩が
合体して出来た県です。
南部藩と津軽藩の境に設置されていた【藩境塚】という
境界を示す4つの塚が今でも公園として整備され
遺っているとのことで見て来ました。
斗南藩(県北東部・下北半島)と3つの藩が
合体して出来た県です。
南部藩と津軽藩の境に設置されていた【藩境塚】という
境界を示す4つの塚が今でも公園として整備され
遺っているとのことで見て来ました。
昔はこんな塚がたくさんあったかと思いますが、
変化の渦の中で「無用の長物」として
歴史の彼方に消えてしまったようです。
未だに江戸時代の遺物が遺っているって、
物持ちがいい県ですよね!
歴史好きにはたまりません~^^♪
あと、別の意味・理由で遺っていると推測しています。
南部藩と津軽藩はかつてめちゃくちゃ
仲が悪かったのです。
だから境界線はかなり重要なんや、、、と?
隣同士は、境界線の問題等、
リアルに利害関係が衝突するので、
仲が悪い場合が多いのですが、
もともと津軽藩というものは存在せず、南部藩でした。
が、津軽為信という人物が、
豊臣時代に下剋上状態で南部藩から分離独立して、
津軽藩を作ったのです。
だから南部の人は津軽に対して
あまり良い感情は持っていないそうですし、
津軽の人は南部の人に対してどことなく
負い目を感じているそうです。
が、廃藩置県となり、既に150年も経っていますので、
そんな南部VS津軽感情は若い人を中心に
残っていないようです。
車がビュンビュン走る国道4号線沿いの
駐車場に車を置いて陸奥湾に向かって坂を下り、
そして今はもう存在しない旧街道沿いにあったと思われる、
この藩境塚を眺めた時、中世や江戸時代の残り香が、
秋風に乗ってほのかに漂ってくるようでした。。。☆
●藩境塚(通称・四ツ森)
http://www.town.noheji.aomori.jp/kanko/spot/391
[ 22:43 ]
[ ぶらり旅日記 ]
下北半島からくるっと津軽半島へ移動!
源義経が北上して逃げてきた!という義経寺へ行ってみました↓
https://www.aptinet.jp/Detail_display_00002142.html
青森旅②キリストの墓と同じような、
ロマンな伝承ですが、、、^^;
源義経が北上して逃げてきた!という義経寺へ行ってみました↓
https://www.aptinet.jp/Detail_display_00002142.html
青森旅②キリストの墓と同じような、
ロマンな伝承ですが、、、^^;
[ 22:39 ]
[ ぶらり旅日記 ]
津軽と言えば、津軽半島/龍飛岬↓
https://www.aptinet.jp/Detail_display_00000066.html
龍飛岬と言えば、名曲『津軽海峡・冬景色』ですよね~!
よしこちゃんもカラオケでオッチャン達の前で
よく歌っております(笑)♪
https://www.aptinet.jp/Detail_display_00000066.html
龍飛岬と言えば、名曲『津軽海峡・冬景色』ですよね~!
よしこちゃんもカラオケでオッチャン達の前で
よく歌っております(笑)♪
龍飛岬の丘には、『津軽海峡・冬景色』の歌碑があり、
赤いボタンを押すと、女性の声
(恐らく、石川さゆりではない)歌の2番と、
最後のサビが歌われます。
なんだかステキで、そしてどこか滑稽です(笑)。
行った時はめっちゃ風が強くて冷たくて、
途中雨が横から降って来たりと、
『津軽海峡・冬景色』にちょっと近い情景になって、
こんな過酷で美しい場所だからこそ、
こんな名曲も生まれるんやなぁ。。。と
強風にあおられながら想いました。
人生もきっと、平穏な時よりも辛くて過酷な時の方が、
【美】であるのかも知れませんね。
赤いボタンを押して歌碑から放たれる名曲を愛でた後は、
龍飛岬の下に降りて、赤い祠に祀られている、
地元で愛されているウミノカミサマへお参り!
[ 22:36 ]
[ ぶらり旅日記 ]
「国道」と言えば、自動車がビュンビュン走っている
というイメージがありますが、
龍飛岬を走る国道339号線は、ナント☆階段で、
徒歩の人しか通っていません。
名付けて【階段国道】!!!
初めて聞いた日本語で、びっくり仰天~っ(>0<)!!!
というイメージがありますが、
龍飛岬を走る国道339号線は、ナント☆階段で、
徒歩の人しか通っていません。
名付けて【階段国道】!!!
初めて聞いた日本語で、びっくり仰天~っ(>0<)!!!
詳しくはこちら↓
https://www.travel.co.jp/guide/article/1220/
https://trafficnews.jp/post/74594
階段あり、民家と民家の間の細い路地(?)あり。
国道の概念がステキに覆された衝撃的な
339号線との出会いでしたぁ~^^♪
[ 22:32 ]
[ ぶらり旅日記 ]
津軽海峡・龍飛岬から、雄大な日本海を眺めつつ、
美しい海岸線をレンタカーで颯爽と南下し、
十三湖に行きました。
昔は「とさこ」(元はアイヌ語)、
今は「じゅうさんこ」と呼ぶそうです。
十三湖は浜名湖と同じ汽水湖です。
美しい海岸線をレンタカーで颯爽と南下し、
十三湖に行きました。
昔は「とさこ」(元はアイヌ語)、
今は「じゅうさんこ」と呼ぶそうです。
十三湖は浜名湖と同じ汽水湖です。
十三湖と日本海が交わるところに十三湊があり、
そこにかつて安藤(安東)氏という一族が、
本格的な都市設計を施し、
一大貿易都市を築いていた!ということです。
今はただの湖に寒村のみ・・・
その遺跡案内の看板が立っていたり、
小さな資料館があるのみです。
地の利を生かして、ホウボウと貿易をし、
巨万の富を築いていた安藤氏ですが、
どうやら巨大地震&津波で壊滅的な被害を受け、
そこに今の岩手県北部と青森県東部を支配していた
南部氏が攻めて来て、
室町末期にこの一族は滅んだ・・・というか、
この十三湊を捨てて、本州のどこかの湊町か、
北海道などに逃げたのかも知れません。
で、そこを支配した南部氏は、
海上貿易にはとんと興味もスキルも無く、
その土地を支配したことのみ満足だったようで、
中世の一大貿易都市はそんな南部氏によって
地中深くへ眠りにつき、今は寒村となっています。
天を仰ぎ海を渡る中世の人たちのロマンが、
生命の息吹“ツワモノドモガユメノアト”が、
この静寂を守る十三湊の下で眠っているなんて、
そのギャップが何だかめちゃくちゃ凄すぎて、
とってもステキな歴史ロマンやと感じました!
●十三湖
http://www.go-kankou.jp/miru_manabu/ando.html
●市浦歴史民俗資料館
http://www.city.goshogawara.lg.jp/kyouiku/bunka/shiurarekimin.html?fbclid=IwAR1tQLQWbkAf7hiGCCRnGIp99vp7krzik7SrNJA9W2I2Eq8NktsXJsl7kds
[ 22:27 ]
[ ぶらり旅日記 ]
10年程前に地元八尾にて、
商工会議所青年部主催「近畿ブロック大会 八尾大会」
を開催した時に、日本商工会議所青年部の
委員さんをされておられ、いろいろと大会運営に
ご協力頂いた時以来のご縁で、その後、
五所川原市倫理法人会のMSに
お邪魔させて頂いたりしました。
青年部はご卒業されて、
今は青森県倫理法人会の幹事長をされておられるとのこと!
やっぱりデキルおねえさまは違いますワ~^^♪
ご多忙のところ、大阪からの旅人のために
わざわざ時間を割いてくださり、
いろいろと地元青森のお話を伺うことが出来ました。
地元の方から直接あれこれとお伺い出来るのは、
旅人として大変貴重で嬉しい機会でございます~(=人=)☆
かいぴょんさんオススメの津軽金山焼の置物
「あまびえたん」を購入させて頂きました。
めちゃくちゃ可愛い!!!
この合掌している「あまびえたん」に、
三内丸山遺跡でゲットした
黄金色のリンゴの鈴をつけて、さらにゴリヤク倍増です(笑)♪
あと、あまりにもキラキラしてて驚いたので
うっかり写真撮影し忘れたのですが(笑)、
パークイン五所川原エルムシティさんには“女子部屋”があり、
壁紙やインテリアがめっちゃ可愛い
お部屋に泊まらせていただきました!
ほんと、久しぶりに思い出しました☆
自分が女子やったことを・・・(笑)。
そんなかんだで、ステキな女子時間を
過ごさせていただきましたぁ~(^0^)!
みなさんも青森・五所川原に行かれた時は是非、
パークイン五所川原エルムシティさんに
泊まられてみてくださいね~^^♪
●パークイン五所川原エルムシティ
https://www.parkinn-elm.co.jp/
●津軽金山焼「あまびえたん」
http://kanayamayaki.com/?p=4096
[ 22:22 ]
[ ぶらり旅日記 ]
ねぷたは元々、七夕の時の灯籠流しだったそうで、
それが神輿のように町中を行脚したり、
どんどん巨大化して色彩豊かになって来たようです。
(最近は温暖化で雪が少ないそうですが)
雪深い季節が長いので、やがて訪れる春を待ちながら
じっくりとねぷたの作品づくりに専念され、
それがこんなに美しくまた大きく進化されたのでしょうか。。。
この館は日頃は立佞武多の展示館且つ
保管倉庫となっており、お祭りシーズンになると、
いろんなところがビ~~~ッ!と開いて、
立佞武多が外へ運べるようになっています(驚)!!!
展示されている立佞武多の美しさにうっとり。。。☆
[ 22:18 ]
[ ぶらり旅日記 ]
かつてこの弘前城は津軽家の手によって
立派な五層の天守閣があったそうですが、
江戸初期に焼失し、その後櫓の一つに
天守に準ずる装飾が施され、
現存するこぶりな天守閣が完成したそうです。
(当時江戸幕府は五層の天守閣の新築を禁じていた為、
同等のものを再建出来なかったらしい)
司馬遼太郎先生はこのこぶりな天守閣こそが全体と調和し、
ふしぎなやさしさを帯びた名城になっているとおっしゃり、
この天守閣の本丸にのぼった者は、
この台上の主役が天守閣ではなく、
西北にある岩木山であることに気づかれました。
[ 22:13 ]
[ ぶらり旅日記 ]
レンタカーだと行き先を急遽変更とかしやすいので、
旅はレンタカー移動が一番いいです^^♪
その近くにある高照神社
(津軽藩四代藩主・信政を祀る廟所)、
その横にある「高岡の森 弘前藩歴史館」にも行き、
弘前(津軽)藩の歴史を更に学ばせて頂きました↓
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/takaoka-rekishikan/
その時々の生き様や価値観、成功や失敗、智慧。。。
時空を越えて私にいろいろと語りかけてくださいます。
歴史とは即ち、時空間を越えて
今を生きる私たちに贈られて来る、
かつて生きていた人たち全員の智慧、
そのものだと観じております(=人=)☆
[ 22:07 ]
[ ぶらり旅日記 ]
この16でようやく、青森旅日記も終わりです(ほっ)。
岩木山神社から青森空港へ向けて
レンタカーを走らせてますと・・・
「りんご(3つ)100円」
という驚愕の安さで販売されている
「無人販売所」がポコポコ出てきましたので、
スーツケースの隙間に入るだけの
りんごを購入しましたぁ~^^♪
岩木山神社から青森空港へ向けて
レンタカーを走らせてますと・・・
「りんご(3つ)100円」
という驚愕の安さで販売されている
「無人販売所」がポコポコ出てきましたので、
スーツケースの隙間に入るだけの
りんごを購入しましたぁ~^^♪
さすが、日本一のりんごの産地ですよね(アッパレ☆)
青森県界隈に稲作文化(米による民衆支配)及んでから、
寒冷地でしかも雪深い津軽地方を中心に
「けかち(飢渇)」となり、江戸時代には
およそ五年に一度、凶作となって
多くの餓死者を出し続けて来ました。
上記自然現象に加え、江戸時代の津軽藩に於ける
政治のやり方にもかなりの問題があったようです。
その深い悲しみや苦しみ絶望感は、
比較的温暖で稲作に適した、
また武士(支配者層)が殆どいなかった
天領で生きていた先祖を持つ私には
理解し辛い部分もあります。。。
津軽藩が治めていた弘前を中心に、
今も多くの慰霊塔が遺っています。
私はそのみたまたちに祈り(ヒカリ)を捧げます。
明治に入り、けかちの元凶であった稲作から開放された
青森県界隈の人たちは、寒冷地でもよく育つ
(しかも高付加価値のある)、
りんご栽培を積極的に行っていき、今に至っています。
りんごは青森県人の命を救う、
“赤いみたま(いのち)”なんだと思いました。
青森は東北の地方都市なので、
大都市に比べて好景気・バブルとか
あまり無かったそうですが、それでも現代は
よほどのことがない限り、餓死することはなくなりました。
現代は品種改良され寒冷地でもちゃんと育つ稲もありますし。
ほんと、おかげさまで良い世の中になりました。
三内丸山遺跡を始めとする青森県内並びに
同文化圏内の縄文遺跡の発掘によって、
青森は日本国の端/僻地の「けかち」ではなく、
豊かな実り多き「北のまほろば」で
あったということが分かってきました。
この地を実際に旅させていただき、
この令和の時代に於いても「まほろば」
であるという確信を深めました。
たくさんの物やお金が無くても、
古き良き文化や歴史(先人たちの智慧)が
たくさん遺っていて継承されている。
外部環境が過酷だからこそ、人々の絆は深く、
助け合って分け合って生きている(内部環境の充実)。
そのように観じました。
かつて三内丸山遺跡で生きていた
縄文人のDNA(生き様)を最も色濃く継承されているのが、
地元青森の方々なのではないでしょうか。
我が国は南北に細長く、多種多様な
歴史、風土、生活習慣、価値観を保有する国家です。
日頃の大阪・関西の生活圏には無い、
または少ないものが、旅先には豊富にあったりします。
(逆に大阪にたくさんあって、旅先には少ない、無いものもあります)
今後も【旅という名の行(ぎょう)】を通してでも、
多種多様な価値観や歴史(先人の智慧)を学び、
自らの人生に活かして参りたいと思っていますし、
そこから得た学びをこのブログ等で
多くの方々と共有し発信して、
全ての進化成長・幸福に貢献して行きたいと思っています。
お世話になったみなさま、ありがとうございました。
一日も早くコロナが収束し、
観光業界や運輸業界が元通りになり、
ますます繁栄しますように。。。(=人=)☆