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よしこちゃんの部屋
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2020/11/27のBlog
[ 23:47 ] [ よしこちゃんのつぶやき ]
ご参考までにどうぞ



この冬も、そしてこれからも

あらゆる制約を超尅し

たった一つである【真実】を観

それに基づいた言動を展開して参ります

(=人=)☆



【ネット記事】

医師が明かす「コロナを恐れる必要がない理由」

死亡者は前年比減少、治療法も大きく進歩

https://news.yahoo.co.jp/articles/0ca052cf5675e4ee3c157c25446a5e78387cdf09?fbclid=IwAR07c1XN5R4loiTLhS6RDhFBcMpRLoepoBaPa5GKOM4Ppf549YCg2B4Mfdk


2020/11/04のBlog
10月23日(金)~26日(月)3泊4日で、

青森県へ行って来ました。

おかげさまで今回もGO TO キャンペーン等で

格安で行くことが出来且つ、

めちゃくちゃ内容の濃いものでした(=人=)☆



今回もざっとですが、青森の多種多様な歴史的風土、

その素晴らしさをご紹介させていただきます!



で、なぜ今回の題名が【北のまほろば】か?

それは、司馬遼太郎先生の『街道をゆく41』からです↓

https://publications.asahi.com/kaidou/41/index.shtml

青森県内の至る所でこの言葉を観ました。

※「まほろば」とは、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」

という意味の日本の古語です。



南方からやって来た稲作文化が中世、

この青森の地を覆うようになってから「けかち」という

飢餓の多い場所となってしまいましたが、

元々(縄文時代/狩猟や採集をしていた時代)は、

地球上で最も豊かな場所(まほろば)で、

三内丸山遺跡のように、戦争やいざこざの跡が

見当たらないムラ(人間の営みの場)が

多数あったと分かって来ています。



『街道をゆく』シリーズは司馬先生の突然の死去によって、

43の途中で終わってしまいましたが、

その少し前に司馬先生の手によって、

青森は実は「けかち」ではなく

「まほろば」であったと証明されたのは、

青森県人にとっても我々日本人全員にとっても、

素晴らしいことであったと観じています。



さて、前置きが長くなりましたが、

23日青森空港に着いてレンタカーを借り、

まずは青森県東部にある三沢市に行きました。



三沢は日本の航空自衛隊・米軍基地(空軍)・

民間旅客機(三沢空港)が飛ぶ、【三位一体型】の

大きな空港区域があり、

恐らく日本ではここだけだと思われます。



沖縄の次に大きい米軍の空軍基地があるだけあり、

街全体がなんだかアメリカンな雰囲気で、

米軍の方がちょくちょく歩いておられました。

(ロシアとのからみがあってか)北海道には

米軍の駐屯地が無い関係で、この三沢が

日本北部における防衛の重要拠点のようです。



1年程前に私が入っている

一般社団法人政経倶楽部連合会 大阪支部

https://www.seikei-club.jp/)という会で、

三沢の航空自衛隊基地を見学するアポを

取りつけていたのですが、残念ながら

コロナで流れてしまいましたので、

代わりに県立三沢航空科学館(https://www.kokukagaku.jp/)へ

みんなと行きました~^^♪


一緒に行った、政経倶楽部の仲間・ハシモトさんが、

シュメール文化の研究を個人的にされておられ・・・

「青森にキリストの墓があるから、

是非そこに行って欲しい!!!」と

意味不明???なことを言われ、

ネットで調べてみると、ホンマにありました!?

【キリストの墓】!


三沢から23日夜宿泊した十和田湖にある

温泉旅館の間にある新郷村にありました。

【新郷村/キリストの里伝承館】

http://www.vill.shingo.aomori.jp/sight/sight_main/kankou/sight-christ/?fbclid=IwAR2S4M4aAAZfORN952l4T1-eLf5VIMxakRY1y64oZ_8ZvLUEXLGJkEXdJwA




土が盛られた上に建っている白い十字架が

2つありました。

一つはキリストで、もう一つがその弟である

イスキリなんだそうです(^^;)。



「ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが

実は密かに日本に渡っていた」



十字架にハリツケにされたのはキリストじゃなく、

弟のイスキリだった!?って、

イスキリっていう名前もなんだか、

“椅子(の足)を切る”って感じで?意味不明ですよネ~(^^;)。

そのミステリーの真相はいかに!??



だけど実際現地に行きますと、

歴史の彼方から神々しく放たれるステキな

神秘に思えてきました~^^♪




23日夜は、政経倶楽部のオジサマ方と

ワイワイ宴会!



食べきれない豪華な夕食と共に、

せっかくいっぱい頂いた「地域共通クーポン」が

全てブッ飛ぶ程にお酒をガバガバ呑んではりましたぁ~(笑)!

(ホテルで頂いた「地域共通クーポン」は、

ホテルの夕食のお酒代でも使えました)



明朝は曇っててしかも風が強かったですが、

ちょっと時間があったので、湖岸沿いに行ってみました。

十和田湖に映るステキな虹【ヒカリ】が

私を迎えてくれました~^^♪


【写真】

紅葉シーズンの十和田湖

乙女の像

十和田神社



24日(土)朝、紅葉シーズンど真ん中の

奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)に行きました。
私たちは十和田湖方面から行ったので

かなりマシでしたが、反対の青森市内から

車でやって来た人たちが団体バス含めて圧倒的に多く、

その反対車線は途中から大渋滞で、

路駐している自動車に向かってパトカーが

ワーワー言ってて、なんだか騒がしい観光地でした(^^;)。



だけど、さすが景勝地だけあって、

悠久の歴史に裏付けされた美しい風景が

拡がっていました~(=人=)☆



【写真】

奥入瀬渓流「阿修羅の流れ」→「石ケ戸休憩所」界隈

(2キロ程、遊歩道を歩きました♪)



十和田湖・奥入瀬渓流界隈紹介ページ↓

http://towadako.or.jp/towadako-oirase/


24日(土)の昼食は三内丸山遺跡にあるレストランで。

安くて美味しかったです!



知る人ぞ知る、この三内丸山遺跡の発見が、

私たち日本人の「縄文時代」「縄文文化」

「縄文人」の概念を覆しました。



ベテランのボランティアガイドの

おじさま・上田さんにガイドを頂き、

綺麗に整備された広大な遺跡内を

当初の予定60分を大幅に超えて

90分もみっちりご案内いただきました(=人=)☆



少人数の家族や親族の範囲で、

ちびちびとムラを形成し、かろうじて生きていた・・・

のではなくて、この地に1500年程、

こんなに広大なムラ(っていうか一大都市!?)を形成していた!

ということが分かり、そのスケールもそうですが、

高度な文明の凄さに圧倒されました。



しかもこの遺跡では、ムラを覆う堀や塀、

武器そのものや槍で頭蓋骨を突かれた

人骨が一切見つかっていない。。。

更に豊富な食物の痕跡や耕作、栽培、

海・川・陸での狩猟の跡などなど。。。

いかに縄文時代が殺し合いの無い豊かで

幸福な時代であったか?

恐らくこの時代、この地・この日本の縄文時代が

地球上で最も豊かで幸福な楽園

【ユートピア】であったことが分かります。



ってことで、いよいよ来年あたりに、

三内丸山遺跡も含めた

「北海道・北東北の縄文遺跡群」が

世界遺産に認定されるそうですョ(祝)!



縄文文化を持つ縄文人は我々日本人の

直系の先祖であります。

現代の日本地図の箇所のあっちこっちに

遺跡(生活の痕跡)を遺しています。



が、西日本よりも東日本の方が

その痕跡は多い(大きい)ようです。

それだけ昔の日本は東日本の方が

「まほろば」やったんでしょうね。



真の幸福の探求と実現は、

既にもうこの縄文時代に完成していた訳です。



だけど、南方(大陸)から、稲作文化が入って来ると同時に

稲(食物)を貯蓄するという概念も入って来て、

「貯蓄する→個人や組織で所有・独占する」

という動きとなり、「食物を貯蓄しておかないと

自分(たち)は飢える・死んでしまう」

という概念(自我)が芽生えて強化され、

やがてそれが「自分たち以外は餓えて死んでもいい」

「隣のムラの食物(富・財産)を盗んででも・皆殺しにしても

自分たちは生き残る・豊かになりたい」という

我欲を発達させて来て、今に至っているようです。



従いまして自我の根本的要素は【恐怖】であり、

自我から発心された我欲の根本は

【貪り】【偏り】【無知】と言ったものであると観ております。



私の今生の人生に於ける重大なコンセプトとして

【縄文に還る】というものがあります。



この令和の時代に縄文の時代へ還る。

還らないと、地球誕生から何回目かの人類絶滅が

待っているからです。

それを人間という立場役割となり、

何とか回避しなくてはならないと認識しております。



今世界に蔓延るコロナショック、次にもう準備されている

世界経済の崩壊は、その人類絶滅

(地球人類の粛清・罪の精算)のプロセス

【天からの最終警告】です。



青森空港から10キロ弱のところにありますこの三内丸山遺跡。

日本人のルーツ(DNA)並びに、

今を生きる我々大和民族がこの地球で成すべき

使命役割を肌で感じたい方、

是非とも行かれてください。

縄文人の豊かさ・目指していた境地が時空を越えて、

私たちの持つ【大和魂/ヤマトノオモヒ】をワクワクさせます~(^0^)!



●三内丸山遺跡 公式ホームページ

https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/


[ 22:51 ] [ ぶらり旅日記 ]
24日(土)夕方。一旦青森空港に戻り、

政経倶楽部大阪支部のオジサマ方とお別れ。

大阪に帰って行かれました。

私と友達のゆうきちゃんの二人が残り、

空港のレンタカー屋さんで、今度はコンパクトカーを借りて、

一気に下北半島(むつ市)まで行きました!



翌朝25日朝は、むつ市にある、

斗南藩の旧跡地を探訪しました。



「斗南(となみ)藩」とは・・・

会津藩主で京都守護職だった松平容保(かたもり)が、

戊辰戦争で新政府軍に徹底抗戦した為、

明治元年(1868)に会津領を没収され蟄居させられ、

嫡子の容大(かたはる)が陸奥の北端・・・

今の下北半島のむつ市あたりの僻地(3万石)を与えられ、

斗南藩を立藩しました。



本州最北端の稲作が困難な僻地に

会津若松の武士たちが流浪の民の如く移住し、

過酷な環境下で開墾されるなど、

涙無しでは語れないご苦労をされた。。。

という深い悲しみの歴史があります。



素直で実直、誠実だったからこそ、

ずる賢く逃げることなく、「歴史のハズレくじ」をひいてしまい、

朝敵という汚名を明治政府によってつけられ、

酷いめに遭わされてしまいました。

私は個人的に、そんな旧会津藩(会津魂)がカナリ好きなので、

いつか斗南に行きたいと思っていました。



会津藩士・斗南藩士に鎮魂の祈りを捧げるべく、

まずは斗南藩の藩庁が置かれた円通寺と

幼い松平容大の遊び場だった徳玄寺へ。

円通寺には戊辰戦争の三十三回忌に建立した

奮戦むなしく亡くなった会津藩士を弔う招魂之碑がありました。



明治になってからもう150年経っておりますが、

今でも会津武士の子孫が弔っておられるのでしょうね(=人=)☆



斗南藩史跡地や旧斗南藩士らのお墓にも行きました。

大河の歴史の中にある光と影。敗者という影に存在する、

その人々の生きざまに光を当てることによって観えてくる、

真実(想い)というものを私はこうして

一つずつ丁寧に集めてはヒカリにして天に還し、

と同時に自分の心に徳や智慧、

感動と感謝というカタチで貯蓄し続けております(=人=)☆



●下北ナビ「斗南藩 史跡」

https://simokita.org/sight/tonami/


[ 22:46 ] [ ぶらり旅日記 ]
今の青森県は、津軽藩(県西側)・南部藩(県東側)・

斗南藩(県北東部・下北半島)と3つの藩が

合体して出来た県です。



南部藩と津軽藩の境に設置されていた【藩境塚】という

境界を示す4つの塚が今でも公園として整備され

遺っているとのことで見て来ました。



昔はこんな塚がたくさんあったかと思いますが、

変化の渦の中で「無用の長物」として

歴史の彼方に消えてしまったようです。



未だに江戸時代の遺物が遺っているって、

物持ちがいい県ですよね!

歴史好きにはたまりません~^^♪



あと、別の意味・理由で遺っていると推測しています。

南部藩と津軽藩はかつてめちゃくちゃ

仲が悪かったのです。

だから境界線はかなり重要なんや、、、と?



隣同士は、境界線の問題等、

リアルに利害関係が衝突するので、

仲が悪い場合が多いのですが、

もともと津軽藩というものは存在せず、南部藩でした。



が、津軽為信という人物が、

豊臣時代に下剋上状態で南部藩から分離独立して、

津軽藩を作ったのです。



だから南部の人は津軽に対して

あまり良い感情は持っていないそうですし、

津軽の人は南部の人に対してどことなく

負い目を感じているそうです。

が、廃藩置県となり、既に150年も経っていますので、

そんな南部VS津軽感情は若い人を中心に

残っていないようです。



車がビュンビュン走る国道4号線沿いの

駐車場に車を置いて陸奥湾に向かって坂を下り、

そして今はもう存在しない旧街道沿いにあったと思われる、

この藩境塚を眺めた時、中世や江戸時代の残り香が、

秋風に乗ってほのかに漂ってくるようでした。。。☆



●藩境塚(通称・四ツ森)

http://www.town.noheji.aomori.jp/kanko/spot/391


[ 22:43 ] [ ぶらり旅日記 ]
下北半島からくるっと津軽半島へ移動!

源義経が北上して逃げてきた!という義経寺へ行ってみました↓

https://www.aptinet.jp/Detail_display_00002142.html



青森旅②キリストの墓と同じような、

ロマンな伝承ですが、、、^^;



源義経は源頼朝に追われ結局、

奥州平泉で自刃したといわれていますが、

このお寺のある津軽半島・龍飛崎まで逃げ、

荒れ狂う海を前に観音像に祈ると、

3頭の龍馬が現れ、

海峡を渡ることが出来たという伝承のあるお寺です。



そして大陸に渡り、チンギス・ハンになって

モンゴル帝国の初代皇帝となった!って

ブッ飛び伝承へと繋がって参ります(笑)。



雪深き地域には、ロマンあふれるすてきな伝承が

生まれやすいのかも知れませんね^^♪



ま、伝承はどうであれ、風光明媚な場所でございました。。。☆

旅の相棒・ゆうきちゃんが、お寺にあった「幸福の鐘」を鳴らして、

世界の平和を祈ってくれました。。。(=人=)☆



[ 22:39 ] [ ぶらり旅日記 ]
津軽と言えば、津軽半島/龍飛岬↓

https://www.aptinet.jp/Detail_display_00000066.html

龍飛岬と言えば、名曲『津軽海峡・冬景色』ですよね~!

よしこちゃんもカラオケでオッチャン達の前で

よく歌っております(笑)♪



龍飛岬の丘には、『津軽海峡・冬景色』の歌碑があり、

赤いボタンを押すと、女性の声

(恐らく、石川さゆりではない)歌の2番と、

最後のサビが歌われます。

なんだかステキで、そしてどこか滑稽です(笑)。



行った時はめっちゃ風が強くて冷たくて、

途中雨が横から降って来たりと、

『津軽海峡・冬景色』にちょっと近い情景になって、

こんな過酷で美しい場所だからこそ、

こんな名曲も生まれるんやなぁ。。。と

強風にあおられながら想いました。




人生もきっと、平穏な時よりも辛くて過酷な時の方が、

【美】であるのかも知れませんね。



赤いボタンを押して歌碑から放たれる名曲を愛でた後は、

龍飛岬の下に降りて、赤い祠に祀られている、

地元で愛されているウミノカミサマへお参り!




ここに来ると、雨も風が一段と【爆状態】となり、

祠の前での合掌礼拝した後、

私の重い肉体が枯れ葉のように、

一瞬ふんわりと舞い上がって、風雨と同化し、

このまま虚空の彼方へ飛んで行きそうになりました(笑)。



さすが、龍が飛ぶ岬だけあり、

その御力も物凄くて、益々心身か軽くなり、

目の前で起こる事象がより鮮明且つ軽やかに

スピードを増して進んでいます。



【龍の背に乗る/流れに乗る】ということは、

このような境地・次元なんやと、

体感中でございます(=人=)☆


「国道」と言えば、自動車がビュンビュン走っている

というイメージがありますが、

龍飛岬を走る国道339号線は、ナント☆階段で、

徒歩の人しか通っていません。

名付けて【階段国道】!!!

初めて聞いた日本語で、びっくり仰天~っ(>0<)!!!



詳しくはこちら↓

https://www.travel.co.jp/guide/article/1220/

https://trafficnews.jp/post/74594



階段あり、民家と民家の間の細い路地(?)あり。

国道の概念がステキに覆された衝撃的な

339号線との出会いでしたぁ~^^♪


津軽海峡・龍飛岬から、雄大な日本海を眺めつつ、

美しい海岸線をレンタカーで颯爽と南下し、

十三湖に行きました。

昔は「とさこ」(元はアイヌ語)、

今は「じゅうさんこ」と呼ぶそうです。

十三湖は浜名湖と同じ汽水湖です。



十三湖と日本海が交わるところに十三湊があり、

そこにかつて安藤(安東)氏という一族が、

本格的な都市設計を施し、

一大貿易都市を築いていた!ということです。

今はただの湖に寒村のみ・・・

その遺跡案内の看板が立っていたり、

小さな資料館があるのみです。



司馬遼太郎先生の『街道をゆく 41 北のまほろば』を手に、

中世の面影がほぼない雨の十三湖を見渡してから、

十三湖の中にある小さな島(中島)にある

市浦歴史民俗資料館へ行きました。



地の利を生かして、ホウボウと貿易をし、

巨万の富を築いていた安藤氏ですが、

どうやら巨大地震&津波で壊滅的な被害を受け、

そこに今の岩手県北部と青森県東部を支配していた

南部氏が攻めて来て、

室町末期にこの一族は滅んだ・・・というか、

この十三湊を捨てて、本州のどこかの湊町か、

北海道などに逃げたのかも知れません。



で、そこを支配した南部氏は、

海上貿易にはとんと興味もスキルも無く、

その土地を支配したことのみ満足だったようで、

中世の一大貿易都市はそんな南部氏によって

地中深くへ眠りにつき、今は寒村となっています。



天を仰ぎ海を渡る中世の人たちのロマンが、

生命の息吹“ツワモノドモガユメノアト”が、

この静寂を守る十三湊の下で眠っているなんて、

そのギャップが何だかめちゃくちゃ凄すぎて、

とってもステキな歴史ロマンやと感じました!




●十三湖

http://www.go-kankou.jp/miru_manabu/ando.html



●市浦歴史民俗資料館

http://www.city.goshogawara.lg.jp/kyouiku/bunka/shiurarekimin.html?fbclid=IwAR1tQLQWbkAf7hiGCCRnGIp99vp7krzik7SrNJA9W2I2Eq8NktsXJsl7kds


25日(日)夜は、五所川原市にある

パークイン五所川原エルムシティに泊まりました^^♪

支配人の中山佳さん(愛称:かいぴょんさん)は、

商工会議所青年部&倫理法人会の先輩です!



10年程前に地元八尾にて、

商工会議所青年部主催「近畿ブロック大会 八尾大会」

を開催した時に、日本商工会議所青年部の

委員さんをされておられ、いろいろと大会運営に

ご協力頂いた時以来のご縁で、その後、

五所川原市倫理法人会のMSに

お邪魔させて頂いたりしました。



青年部はご卒業されて、

今は青森県倫理法人会の幹事長をされておられるとのこと!

やっぱりデキルおねえさまは違いますワ~^^♪



ご多忙のところ、大阪からの旅人のために

わざわざ時間を割いてくださり、

いろいろと地元青森のお話を伺うことが出来ました。

地元の方から直接あれこれとお伺い出来るのは、

旅人として大変貴重で嬉しい機会でございます~(=人=)☆




かいぴょんさんオススメの津軽金山焼の置物

「あまびえたん」を購入させて頂きました。

めちゃくちゃ可愛い!!!



この合掌している「あまびえたん」に、

三内丸山遺跡でゲットした

黄金色のリンゴの鈴をつけて、さらにゴリヤク倍増です(笑)♪



あと、あまりにもキラキラしてて驚いたので

うっかり写真撮影し忘れたのですが(笑)、

パークイン五所川原エルムシティさんには“女子部屋”があり、

壁紙やインテリアがめっちゃ可愛い

お部屋に泊まらせていただきました!

ほんと、久しぶりに思い出しました☆

自分が女子やったことを・・・(笑)。

そんなかんだで、ステキな女子時間を

過ごさせていただきましたぁ~(^0^)!



みなさんも青森・五所川原に行かれた時は是非、

パークイン五所川原エルムシティさんに

泊まられてみてくださいね~^^♪



●パークイン五所川原エルムシティ

https://www.parkinn-elm.co.jp/



●津軽金山焼「あまびえたん」

http://kanayamayaki.com/?p=4096


青森・津軽と言えば「ねぷた(ねぶた)」です!!!

五所川原は立佞武多(たちねぷた)で、

ねぷたが立っています!



26日パークイン五所川原エルムシティを後にし、

「立佞武多の館」に行きました↓

http://www.tachineputa.jp/



ねぷたは元々、七夕の時の灯籠流しだったそうで、

それが神輿のように町中を行脚したり、

どんどん巨大化して色彩豊かになって来たようです。

(最近は温暖化で雪が少ないそうですが)

雪深い季節が長いので、やがて訪れる春を待ちながら

じっくりとねぷたの作品づくりに専念され、

それがこんなに美しくまた大きく進化されたのでしょうか。。。



この館は日頃は立佞武多の展示館且つ

保管倉庫となっており、お祭りシーズンになると、

いろんなところがビ~~~ッ!と開いて、

立佞武多が外へ運べるようになっています(驚)!!!

展示されている立佞武多の美しさにうっとり。。。☆




そしていつかリアルに動いている

迫力満点な立佞武多群を見たいなと

思いましたぁ~(*^^*)♪



[ 22:18 ] [ ぶらり旅日記 ]
五所川原の次は更に南下して弘前(ひろさき)です!

弘前と言えば、弘前城です^^♪

東北で唯一天守閣が現存している大変貴重なお城です↓

https://www.hirosakipark.jp/



弘前城は、リンゴの木の剪定を参考にした、

樹齢100年を超える立派なソメイヨシノの

桜並木がとても有名です。

(一般的なソメイヨシノの寿命は70年程なんだそうです。

剪定の技術、すごいですね!)


お堀の中が花びらで薄いピンク色になるんやそうです。

冬は桜並木や堀の中や回りが真っ白になるとのこと・・・

津軽は本当に美しいです。

いつか見に行きたい絶景です。




かつてこの弘前城は津軽家の手によって

立派な五層の天守閣があったそうですが、

江戸初期に焼失し、その後櫓の一つに

天守に準ずる装飾が施され、

現存するこぶりな天守閣が完成したそうです。

(当時江戸幕府は五層の天守閣の新築を禁じていた為、

同等のものを再建出来なかったらしい)



司馬遼太郎先生はこのこぶりな天守閣こそが全体と調和し、

ふしぎなやさしさを帯びた名城になっているとおっしゃり、

この天守閣の本丸にのぼった者は、

この台上の主役が天守閣ではなく、

西北にある岩木山であることに気づかれました。




三層のこのこぶりな天守閣が、

この津軽平野の支配の象徴ではなく、

神である岩木山に仕えているのである・・・とのことです。



実際この天守閣に上ってみて、

本当にそうやな。。。と観じ、感慨深いものがありました。



津軽為信を始め、この天守閣にいた

津軽家代々の想い~祈り~というものを、

天に仰ぐ絶対なる存在・岩木山を通して

知ることが出来ました(=人=)☆


弘前城の天守から岩木山を眺めておりますと、

お山に呼ばれた感じがしましたので急遽、

その麓にあります岩木山神社に行くことにしました↓

https://iwakiyamajinja.or.jp/



レンタカーだと行き先を急遽変更とかしやすいので、

旅はレンタカー移動が一番いいです^^♪



その近くにある高照神社

(津軽藩四代藩主・信政を祀る廟所)、

その横にある「高岡の森 弘前藩歴史館」にも行き、

弘前(津軽)藩の歴史を更に学ばせて頂きました↓

http://www.city.hirosaki.aomori.jp/takaoka-rekishikan/



弘前城から10キロくらい離れた岩木山の麓で、

また違った空気のある、清らかな場所でした。

かつての土地の支配者のことを知るのも面白いですが、

その時々の一般大衆の生活を知るのも結構面白いです。



その時々の生き様や価値観、成功や失敗、智慧。。。

時空を越えて私にいろいろと語りかけてくださいます。



歴史とは即ち、時空間を越えて

今を生きる私たちに贈られて来る、

かつて生きていた人たち全員の智慧、

そのものだと観じております(=人=)☆



【写真】岩木山神社
この16でようやく、青森旅日記も終わりです(ほっ)。

岩木山神社から青森空港へ向けて

レンタカーを走らせてますと・・・



「りんご(3つ)100円」



という驚愕の安さで販売されている

「無人販売所」がポコポコ出てきましたので、

スーツケースの隙間に入るだけの

りんごを購入しましたぁ~^^♪



さすが、日本一のりんごの産地ですよね(アッパレ☆)

青森県界隈に稲作文化(米による民衆支配)及んでから、

寒冷地でしかも雪深い津軽地方を中心に

「けかち(飢渇)」となり、江戸時代には

およそ五年に一度、凶作となって

多くの餓死者を出し続けて来ました。

上記自然現象に加え、江戸時代の津軽藩に於ける

政治のやり方にもかなりの問題があったようです。



その深い悲しみや苦しみ絶望感は、

比較的温暖で稲作に適した、

また武士(支配者層)が殆どいなかった

天領で生きていた先祖を持つ私には

理解し辛い部分もあります。。。



津軽藩が治めていた弘前を中心に、

今も多くの慰霊塔が遺っています。

私はそのみたまたちに祈り(ヒカリ)を捧げます。



明治に入り、けかちの元凶であった稲作から開放された

青森県界隈の人たちは、寒冷地でもよく育つ

(しかも高付加価値のある)、

りんご栽培を積極的に行っていき、今に至っています。



りんごは青森県人の命を救う、

“赤いみたま(いのち)”なんだと思いました。



青森は東北の地方都市なので、

大都市に比べて好景気・バブルとか

あまり無かったそうですが、それでも現代は

よほどのことがない限り、餓死することはなくなりました。

現代は品種改良され寒冷地でもちゃんと育つ稲もありますし。

ほんと、おかげさまで良い世の中になりました。



三内丸山遺跡を始めとする青森県内並びに

同文化圏内の縄文遺跡の発掘によって、

青森は日本国の端/僻地の「けかち」ではなく、

豊かな実り多き「北のまほろば」で

あったということが分かってきました。

この地を実際に旅させていただき、

この令和の時代に於いても「まほろば」

であるという確信を深めました。



たくさんの物やお金が無くても、

古き良き文化や歴史(先人たちの智慧)が

たくさん遺っていて継承されている。

外部環境が過酷だからこそ、人々の絆は深く、

助け合って分け合って生きている(内部環境の充実)。

そのように観じました。



かつて三内丸山遺跡で生きていた

縄文人のDNA(生き様)を最も色濃く継承されているのが、

地元青森の方々なのではないでしょうか。



我が国は南北に細長く、多種多様な

歴史、風土、生活習慣、価値観を保有する国家です。

日頃の大阪・関西の生活圏には無い、

または少ないものが、旅先には豊富にあったりします。

(逆に大阪にたくさんあって、旅先には少ない、無いものもあります)



今後も【旅という名の行(ぎょう)】を通してでも、

多種多様な価値観や歴史(先人の智慧)を学び、

自らの人生に活かして参りたいと思っていますし、

そこから得た学びをこのブログ等で

多くの方々と共有し発信して、

全ての進化成長・幸福に貢献して行きたいと思っています。



お世話になったみなさま、ありがとうございました。

一日も早くコロナが収束し、

観光業界や運輸業界が元通りになり、

ますます繁栄しますように。。。(=人=)☆


2020/10/29のBlog
隠岐の旅日記はこれで終わりです。

隠岐から伊丹空港に飛行機が着陸した時、

CAさんが「この飛行機は“アマビエジェット”です」

とおっしゃいました。


これです↓

https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1274492.html



絵に書き写すことで疫病を収めるといわれている

妖怪「アマビエ」の姿を機体の底部に描いており、

整備士の発案で実現されたとのことです。

数機しかないそうなので、たまたまアマビエジェットに当たって

嬉しい限りでゴザイマス~(*^人^*)♪



飛行機を降りてから、機体の底部にプリントされている

アマビエの撮影を試みましたが、

飛行機の真下に行くと警備員さんに叱られそうでしたので、

叱られるギリギリっぽいところまで行って

撮影したのが2枚目写真です(笑)♪



あと帰宅後、「フライトトレーダー24」で、

隠岐→伊丹空港の飛行ルートを調べました。

飛行機の窓から、地元八尾の高安山レーダ(赤丸の箇所)や

我が家が見れて、とても嬉しかったです。



これらの上空を飛んだ時刻は15:15分です。

毎日同時刻に隠岐から伊丹まで飛んでおりますので、

15:15分に八尾上空で比較的小さなJAL機が見えたら、

それは隠岐から飛んできた飛行機です^^♪



・・・伊丹空港発着の飛行機は、

大阪のド真ん中を低空飛行しますので、

飛行機を見上げると肉眼でこの赤い

アマビエのイラストが見えると思います。



ほんと、このアマビエにあやかって、一日も早く、

社会的な新型コロナウイルス感染症の影響が収束し、

航空業界など多くの方々のご多幸を

心よりお祈りいたしまして、

この度の隠岐の旅日記を終えたいと思います。



お世話になったみなさま、

ありがとうございました(=人=)☆



なお、今月下旬は同じくJALで青森へ。

来月上旬はピーチで石垣島&小浜島に行きます。

過去の格安&ステキなGO TO トラベル旅の報告も含め、

また後日アップさせていただきます~^^♪


[ 20:03 ] [ ぶらり旅日記 ]
島後・隠岐の島町をレンタカーで走っていると偶然

「久見竹島歴史館」という看板を見つけ、

「お。これは行かねば~(>0<)!」と

即Google Mapで詳細を調べ、行って来ましたぁ~(^0^)!




スタッフのおばさまが展示資料に基づいて

とても丁寧に説明をしてくださいました。

この久見地区の先祖の方々は、

しかるべき適正なる政府機関の許可を得て

実際に竹島界隈へ魚介類などをとりに行っていた訳です。



が、戦後のどさくさにまぎれて、

韓国が竹島を不法占拠し、

「李承晩ライン」というものを勝手に設定し、

日本人が漁に行ったら拿捕されたり撃ち殺されたりした訳です。



1951年のサンフランシスコ平和条約で、

日本の国土が全て決まった訳ですが、

そこには竹島も日本の国土に含まれた訳で、

その調印に韓国は異議を唱えたのですが

、アメリカ政府はそれを退けております。



過去、国境線が曖昧な時代に、

いろんなことが竹島周辺海域であったかと

思われますが(いくつかの日韓の文面に記載が

遺っている程度ですが)、

とにもかくにも1951年のサンフランシスコ平和条約が

現在に直結する国際的な正当性のある

取り決めであることは間違いありません。



が、そのまま韓国の不法占拠が続いており、

韓国国内では昔から竹島(独島)は韓国固有の領土である!

と教育したり、世界に吹聴しまくったりしており、、、

慰安婦問題や徴用工問題と全く同じ構図といいますか、

慰安婦問題の“走り”といった感じです。

虚実を真実に見せかけ、我が国我が民族の

生命と財産を奪い続けております。



その韓国の不法占拠も国際的におかしくて、

憤りを感じまくっておりますが、

更に上を行く憤りを感じるのが、

当時の日本政府(自民党)の対応です。



拉致問題もそうですが、問題が起こった瞬間に、

一気に解決を図ろうとするのが最もベストで

且つ至極当たり前の方策であります。



しかしながら、この竹島問題が地元から

中央政府へ知れ渡っても、具体的且つ

積極的なロビー活動は行わず結果、

問題の先送り状態が70年程経った今も続いています。



その時に政治的な判断をした政治家はほぼ全員死んで

(引退して)もうおりません。

何とも無責任だと思いませんか。

今頃、そのタマシイは地獄の苦しみを地獄で

味わっていることでしょう。



北朝鮮による拉致被害者問題についても、

日本海沿岸地域を中心に若者がどんどん消えている、

どうやら北朝鮮に拉致されたらしい・・・と

警察機関は早い段階で実態を掴み、

当然のことながら日本政府にも知らせていたのですが、

それを日本政府が公表を遅らせて、

拉致問題発覚を遅らせたのは現代政治史における真実です。



残念ながら当時は日本政府の中枢部に対して

影響力の強い韓国・北朝鮮・中国など

日本と利害関係のある国の人間が、

日本人のフリして(もしくはカネ等で操つられた

日本人が)入り込んで、問題の発覚や解決を遅らせたり、

問題自体を無かったことにする工作を

積極的に仕掛けており、

我々日本人がまんまとそれに

引っかかってしまったということです。

(※現在もその勢力は存在しますが弱体化している上、

善良な国民にその存在や動きが筒抜けです^^♪)



で、その日本政府(中央政権)に業を煮やした

地元・島根県は2005年に「竹島の日」というものを設定し、

竹島問題を公のものにし、

日本人に広く知らしめる活動を展開し始めたのです。



北方領土もそうですが、戦後のどさくさで不法占拠された

状態がずっと続いており、その罪は莫大なものですが、

今後20~30年かけてこの大罪を償うべく、

大いに苦しみ抜いて、人によっては命でもって

償って貰うことになります(=人=)★



また尖閣諸島は中国による、不法占拠に向けての

不穏な動きが続いており、中途半端な日本政府の動きに

業を煮やした沖縄県石垣市が、

尖閣上陸やいろんなことを積極的に行い始めています。

その石垣市の動きに大いに賛同すべく来月、

石垣島に行って参ります。



ほんと、日本政府/政府自民党内に蔓延る【ガン細胞】には

ほとほと呆れており、日本国内においても罪深き政治家や

人間が自身また家系、そして過去世の罪の精算をすべく、

心身の病、人間関係の崩壊、金銭トラブル、

逮捕などなど・・・ありとあらゆる苦しみで持って償っておられ、

時には自らの命(寿命)で持って償っておられます。



すべては【因果応報】であり、人間は騙せても天は騙せず、

すべてをお見通しであり、一つの漏れも例外なく、

償うように出来ています。



奪った人間は奪われるし、殺した人間は必ず殺されるのです。

罪を作った人間を、天は“愛”で持って赦さないのです。



・・・隠岐の島の観光パンフレットやホームページには

この「久見竹島歴史館」は一切載っていなくて、

そのことに対して非常に違和感を覚えていますが日々、

この手の情報を意識して探しているので、

自然と看板が目に入って来ました~(笑)♪



ニッポンを愛する皆様、是非一度、

ここにも行かれてみてくださいね。

地元の方々は静かに、そして熱く、

歴史通りの竹島のあり方を求めておられます。

共に真実を実践して参りましょう~(^0^)!



●久見竹島歴史館 紹介ホームページ
https://www.town.okinoshima.shimane.jp/www/contents/1465433733102/index.html


隠岐はあっちこっちに奇岩や独特の地形があって、

めちゃくちゃ面白いです。

荒々しい地形が、日本海の厳しさ・この地球で

生きていく厳しさを教えてくれますが、

厳しい中にも美しさがあり、

とても魅了されました(*^^*)☆



中ノ島にある明屋海岸と西ノ島にある

摩天崖(まてんがい)界隈、凄かったです!

(空港のある隠岐の島からフェリーに乗って、

中ノ島と西ノ島に行きました)

それぞれの島で電動アシスト自転車を借りて、

見に行ってきました!



ちょっと大変でしたが、その分、

とっても美しい風景に出会えました!



人間は誰もおらず、

この絶景を独り占めです~(*^^*)☆



2・3枚目:明屋海岸

4・5枚目:摩天崖